アメリカ倒産. 12

アメリカ倒産

 

第3章 制度の倒産──民主主義の空洞化

 

3.2 議会制の機能不全──制度疲労としての民主主義

 

議会とは、本来、社会の声を制度的に翻訳する「聴覚器官」である。だが今日、その聴取機能は鈍化し、応答の遅滞と歪みが蓄積している。制度はまだ動いているように見えても、実際には深い**制度疲労(institutional fatigue)**に陥っている。この疲労とは単なる運用上の問題ではなく、**制度的適応能力の限界(North, 1990)**であり、社会が新しい倫理的・認知的環境に変化する速度に、制度が追随できなくなった状態を指す。
制度疲労の概念は、March & Olsen(1989)が指摘した「制度ロジックの惰性」とも響き合う。制度が本来持つべき柔軟性──つまり「何を正当とみなすか」という規範的感受性──が硬直化するとき、手続きは自己目的化し、討議は形式へと後退する。民主主義の疲労とは、この「感受性の喪失」のことである。

Ⅰ 討議の空洞化──制度疲労の第一徴候

議会制の機能不全は、討議の形骸化にもっとも明確に現れる。議事録に残る発言は増えても、**相互理解を志向する言葉(Habermas, 1992)**は減っている。討議の目的が「説得」ではなく「演出」と化したとき、議会は制度的演劇の舞台に変わる。聴衆を前提とした政治的パフォーマンスが、相互理解という倫理的基盤を侵食していくのである。
このとき、議会は「声を聴く場」から「声を増幅する場」へと変質する。制度疲労とは、制度が聴くことをやめた瞬間に始まる詩的沈黙のことである。

Ⅱ 少数支配の制度化とフィリバスターの乱用

近年の米国議会では、フィリバスター(議事妨害)の行使件数が過去最多を更新しつづけている。形式上は「少数派の権利」を守る制度であっても、実質的には政策決定を麻痺させる手段へと転化した。制度的な「債務上限危機」も同様である。国家の財政判断が政党対立の人質と化すとき、制度は手続きの正統性を保ちながら倫理的な倒産を起こしている。
ここに見られるのは、形式の維持と機能の崩壊の共存である。制度は存在しているが、その内実は空洞化している。
Putnam(2000)の言う「社会資本」──すなわち信頼という制度的通貨──が減価していく過程でもある。

Ⅲ 制度的通貨の減価と信頼の破綻

信頼は制度を支える通貨であり、その価値は相互の約束を前提とする。だが、政治的討議が「相手の誤りを証明すること」に傾くとき、信頼は交換不能の資産になる。Putnamが区別した**水平的信頼(市民間の信頼)と垂直的信頼(制度への信頼)**は、今や同時に減価している。
水平的信頼の崩壊は分断社会を生み、垂直的信頼の喪失は制度の正統性を削ぐ。議会がもはや「われわれの代表」であると感じられないとき、民主主義は制度的倒産に近づく。

Ⅳ 制度疲労から制度倒産へ──倫理的適応の欠落

Northが説いたように、制度とは「制約を通じて人々の相互行動を形づくる規範的枠組み」である。したがって、制度の生命とは規範の更新能力に他ならない。その能力が失われると、制度は外形を保ったまま崩壊する。
この「見えない倒産」は、制度が倫理的応答性を喪失した状態であり、いわば倫理的無呼吸(ethical apnea)のようなものだ。
制度詩学の視座から見れば、ここで求められているのは制度の再理性化ではなく、再感受化である。
制度が再び「聴く」ことを学ぶための詩的再訓練──それが制度詩学の課題である。

Ⅴ 制度詩学的結語──沈黙の底で光を聴く

議会とは、本来、社会が自らの沈黙を翻訳する場所であった。だが今、その沈黙は誰にも聴かれていない。制度が沈黙を怖れるとき、言葉は形式の殻に閉じこもる。だからこそ、詩学は制度の最後の呼吸となる。
制度詩学は、失われた討議の音を取り戻す倫理である。声なき声を聴く力、そして沈黙に宿る意味への敬意──それらを制度的感覚として再設計すること。そこにこそ、疲弊した民主主義の再生の道がある。
制度倒産とは、制度が沈黙を忘れたときに訪れる。
そして再生とは、沈黙の底で光を聴くことから始まる。